はじめに
先日7/17(水)に、フィヨルドブートキャンプのメンターさんがリモートで交流会を開催してくださった。
そこで、「成長できる新人プログラマーは、素直に質問ができる人」というお話を聞いて、たしかに!と自分のこれまでの経験と照らし合わせて共感したので、自分の考えを書いた。
目次
フィヨルドでの学習を通して、質問する力が身についた
フィヨルドブートキャンプでの学習を通して、質問するタイミングの見極めができるようになり、仕事でも質問することが得意になったと思う。
プログラミング学習で分からないことを質問した時に、調べが不十分だと、これは確認したか?と聞かれるので、しっかり調べる癖がつき、日報*1で毎日学んだこと・分からないことをアウトプットして、疑問を人に分かりやすく伝える訓練をしているからだと思う。
大切さに気づいたきっかけ
社会人1年目の頃は、「みんな忙しそうだし、時間割いてもらうの申し訳ないし、自分で考えて進めよう」という考えで仕事をしていたことで、早めに報告していれば回避できたミスをしたり、うまく周りに助けを求められなかったり、仕事を終えるのに時間がかかりすぎて結局聞いたほうが早かったり、と失敗することが多かった。
この経験を通して、ホウレンソウをしないで自分一人で仕事を抱え込んでいると、結局は迷惑をかけてしまうことを学んだ。
2年目から、後輩や新しいパートさんがぞくぞくと入ってきて、自分が仕事を管理したり教えたりする立場になった。
この経験を通して、素直に質問してくる人よりも、分からないことがあった時に気をつかって聞かないで進捗が止まっている方(=1年目の自分と同じ)の教育のほうが大変だということに気づいた。
1年目の自分と働いていた人は、「分からなかったら聞いてほしい」と当時の私に言っていたが、それでもいつどのタイミングで聞けばいいか分からず、相手の時間を奪うようで申し訳なく、それでも聞けなかった。なので、気をつかって質問できない人は、今の私のような気持ちだったのかなと思った。
なぜ大切なのか
教えたりマネジメントをする側の人が、相手が詰まっていて仕事が止まっていることに気づくのは、分からない側が発信しないと難しい。(ずっとじーっと見ていたら手が止まっていることに気づけるかもしれないが、教える側もマネジメント業務に加えて自分のお仕事があるので、それはほぼ不可能だと思う。今はコロナ禍で、フルリモートの会社さんも増えてきており、リモートで仕事をしていたら、相手の仕事をしている姿は全く見えないので、不可能だ。)
なので、話しかけやすい雰囲気を作ったり、「分からなかったらすぐ聞いてください」と言っていた。(今振り返ると、「○分考えても分からなかったら聞いてください」、の方がより聞きやすかったかもしれない)
気を遣って質問できない人に対して、定期的に「大丈夫ですか?」と声がけもしていたが、別に大丈夫な時もあるので、定期的にこちらが分からないことがないか確認するよりも、わからない側が発信してくれる方が効率的だと思った。(自分で全く考えないで質問攻めをするのも良くないと思うが💦)
フィヨルドブートキャンプの「わからないことをメンターや他の受講生に質問をする方法」というドキュメント*2でも、メンターさんの1人が、
質問された方が「この人は何が分からないんだろう?」とか、どこに指摘するべきだろう?と考えるよりラク。
と仰っていた。
教える側を経験して学んだこと
この2年目の経験を通して、「自分がどう動けば、共に働く方から教えていただく時間と、自分が仕事に費やす時間を最小限にできるか」という視点で考えられるようになった。今は、自分がどう動けば、(私を含めた)職場の方全員の時間を、最小限で仕事を終えられるか、と俯瞰して考えられていると思う。
今は、仕事で詰まった時は以下のようにしている。
- 自力で最大限調べる
- 調べるのに時間がかかりそうで、その仕事が終わる想定時間(私の会社では、1つ1つの仕事に仕事完了までの目安時間が設定されている)よりも長くなりそうな時や、自分で解決できないと判断した時は、質問する
- 質問する時は、状況説明と分からない点をなるべく簡潔に伝えるように努力する
- 同じことを質問しないように、聞いたことはPCにその場でメモ。
- 紙に書いたメモは無くす可能性があり、管理が大変&PC内にメモしておくと、用語検索で簡単に探せるため。
結論
プログラマーとして転職して、疑問にぶつかったら、おそらく「こんなことも分からないなんて、失望されるかも...」という感じて、質問することにハードルを感じることがあると思う。そんな時は自分が教える立場だった時のことを思い出して、「どう行動するのが自分にとってかつ共に働く方々にとって最善なのか」という視点を忘れないようにしたい。
後、恥ずかしいのは、分からないこと自体ではなく、分からないことを分かったふりをすることだと思う。そして分かったふりはすぐにバレるとおもう。
おわりに
この記事はもともとscrapbox:素直に質問できることの大切さについて - Sakiで書いていたものを、清書して書き直したものです。
元々この記事を書いた理由は、誰かに読んでもらうためではなく、自分の頭の整理のためでした。そのため、多くの方が読んで感想をくださったり、会社さんにシェアしてくださったり、フィヨルドブートキャンプのヘルプに載せていただいたりして、非常に驚くとともに嬉しい気持ちでいっぱいになりました。フィヨルドブートキャンプには長い間お世話になっていて、「私も何かしらの形で役に立ちたい」という気持ちがずっとあったので、フィヨルドブートキャンプというコミュニティに少しは貢献できたのかな、と嬉しくなりました。
社会人になったばかりの1年目の頃は、上述の通り失敗ばかりで辛かったですが、この経験があったからこそ、気をつかって質問することができない方の気持ちを理解でき、どのように接したら、"質問することが申し訳ない"→"質問した方がみんなのためになる"と前向きに思っていただけるようになるかを、学ぶことができました。
また、約3年後の今、このように文章にすることで、誰かのお役に立てているので、その瞬間は辛いと感じた経験も、いつどこで役に立つか分からないし、自分の成長の糧にしていける、と、辛い経験に対してポジティブな面を見出せました。これからも、フィヨルドでの学習やお仕事で、「辛い」と思うことはあると思いますが、そんな時はこのことを思い出したいと思います。
読んでくださったみなさま、感想をくださったみなさま、ありがとうございました。